■ 1927年 12月26日、山形県東田川郡黄金村大字高坂字楯ノ下103にて出生。父・小菅繁蔵(農業、38才)、母・たきゑ(33才)の次男
(兄弟は、長姉繁美、次姉このゑ、兄久治、妹てつ子、弟繁治)
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1940年・13歳 青龍寺尋常高等小学校(尋常科)卒業、高等科に進学
■ 1942年・15歳 黄金村国民学校高等科卒業、山形県立鶴岡中学校(現県立鶴岡南高校)夜間部入学
■ 1946年・19歳 鶴岡中学校夜間部卒業、山形師範学校入学。同人雑誌「砕氷船」に参加
■ 1949年・22歳 山形師範学校卒業、山形県西田川郡湯田川村立湯田川中学校へ赴任。担当科目は国語と社会
■ 1951年・24歳 同人誌「プレリュウド」(「砕氷船」を引継)を発行
集団検診で肺結核が発見され、休職
■ 1953年・26歳 東京都北多摩郡東村山町の篠田病院林間荘に入院、東村山町保生園病院にて右肺上葉切除の手術、篠田病院内の俳句同好会「のびどめ句会」に参加
静岡の俳誌「海坂」への投句を始める。俳号:小菅留次、のち北邨
■ 1955年・28歳 病院内に詩の会「波紋」が作られ、参加
■ 1957年・30歳 篠田病院を退院、東京都練馬区貫井町に間借りし、弟繁治と同居。業界新聞K新聞社に就職、その後業界新聞社を転々とする
■ 1959年・32歳 山形県鶴岡市三浦巌、ハマの三女悦子と結婚
■ 1960年・33歳 (株)日本食品経済社に入社、仕事は「日本食品加工新聞」の編集、以後十四年余、同社に勤める
■ 1963年・36歳 読売新聞社の短編小説賞に本名で応募、「赤い夕日」が選外佳作
2月長女展子誕生、10月妻悦子(28歳)死去
■ 1964年・37歳 「オール讀物」新人賞に投稿を始める
■ 1965年・38歳 藤沢周平のペンネームを使用開始
「藤沢」は若くして亡くなった夫人の出身地名からとったもの
■ 1969年・42歳 江戸川区小岩の高澤庄太郎、エイの次女和子と再婚
■ 1971年・44歳 「溟い海」で第38回オール讀物新人賞を受賞、直木賞候補
■ 1973年・46歳 7月「暗殺の年輪」により第69回直木賞受賞
9月最初の作品集「暗殺の年輪」を文芸春秋より刊行
■ 1974年・47歳 日本食品経済社を退社
■ 1976年・49歳 オール讀物新人賞選考委員
他の委員は、井上ひさし、城山三郎、古山高麗雄、山田風太郎
「週刊小説」に「橋ものがたり」を連載、「オール讀物」に「隠し剣シリーズ」を連載、「小説新潮」に「用心棒日月抄」を連載
■ 1985年・58歳 直木三十五賞選考委員
(翌年の最初の選考による受賞者は、森田誠吾「魚河岸ものがたり」と林真理子「最終便に間に合えば」「京都まで」)
■ 1986年・59歳 「小説現代」に「市塵」を連載、「山形新聞」に「蝉しぐれ」を連載、「白き瓶」で第20回吉川英治文学賞受賞
■ 1988年・61歳 長女展子結婚
山本周五郎賞選考委員 (最初の受賞者は山田太一「異人たちの夏」)
■ 1989年・62歳 江戸市井の人々を描き新境地を拓いた功績により第37回菊池寛賞を受賞
■ 1990年・63歳 小説「市塵」により芸術選奨文部大臣賞を受賞
■ 1992年・65歳 文芸春秋より「藤沢周平全集」全23巻の刊行開始
■ 1994年・67歳 時代小説完成の理由により93年度朝日賞受賞、第10回東京都文化賞受賞
■ 1995年・68歳 紫綬褒章を受賞
■ 1996年・69歳 3月肺炎の為保谷厚生年金病院に入院、同月国立国際医療センターに転院、7月退院
9月国立国際医療センターに再入院
■ 1997年・ 1月26日午後10時12分肝不全のため死去、5月11日鶴岡市が「顕彰の記」を贈呈
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