庄内平野

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庄内の釣り自慢!!

 

■庄内藩公が釣りを奨励していた

形県の鶴岡では、老若男女、お年寄りから子供まで釣り好きが多い。
 いい伝えによると、旧藩主の酒井の殿様が、太平の世に慣れて尚武の気風がうすれていくことを憂え、釣りを奨励し、自らも釣りをされたことから始まったという。
一見道楽とも思える釣りをなぜ奨励したかというと、鶴岡から庄内浜までは五里(20km)ほどの山を越えてゆかなければならず、乗り物のない時代では夜中から出かけてゆくしかない。釣竿を担いでいるので自然と体力を鍛え、気力を養うのに必要な条件がそろっていたことになる。
 そして竿を握る力と刀を握る力も同じである。また、酒井公のお膝元である城下町、鶴岡の釣り人は、魚釣りのことを 「勝負」 と称するらしい。
 当然の事ながら釣り道具も発達した。筍が苦くて食べられないことからその名があるといわれている庄内地方特産の苦竹で作った庄内竿。あめ色に磨き抜かれ、細身ながらもねばりのあるこの竿の特色は、延竿として作られた物で、継ぎ竿として作られたわけではない。もし必要ならば継ぐということなのである。

庄内は魚拓の発祥の地だった!!

日本最古の魚拓は、天保 10年に制作された 「錦糸堀の鮒」 であるとされ、庄内に保存されている。これは江戸・錦糸堀 (現東京都墨田区錦糸町の辺り) で荘内藩主10代酒井忠器もしくはその子忠発が釣り上げた鮒と伝えられる。(この魚拓は、鶴岡の致道博物館のサイトでみることができる)


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