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ここ庄内は、日本海さ沈む夕日がとっでもキレイだのさ。んだがらみなさんにも、見で欲しいのさあ。庄内さ来て見れば、ますますキレイだよ〜。大切な人ど来れば、きっど素敵な想い出になるよ。 |
“夕焼け小焼け(赤とんぼ)
(詞 三木露風 ・ 曲 山田耕筰)
夕焼け小焼けの赤とんぼ
負われてみたのはいつの日か
山の畑のくわの実を
小かごにつんだはまぼろしか
十五でねえやはよめに行き
お里の便りも絶え果てた
夕焼け小焼けの赤とんぼ
とまっているよさおの先
♪夕焼け、小焼けの赤トンボ。おわれてみたのはいつの日か・・・ こんな懐かしい童謡の風情の中で、「あの赤とんぼ取って」とせがむ妹の手をとり合い、兄妹の会話が聞こえてきそうです。
庄内地方では、夕日は日本海へ沈んでいきます。神々しいまでの入日。単に郷愁を超えて敬虔な清清しさが、身も心も引き締めるような思いに満ちてきます。
『赤とんぼ』を聴いてみる!!!
●最上川の夕日
酒田
羽黒を立て、鶴が岡の城下、長山氏重行と云物のふの家にむかへられて、誹諧一巻有。左吉も共に送りぬ。川舟に乗て酒田の湊に下る。淵庵不玉と云医師の許を宿とす。
あつみ山や吹浦かけて夕すゞみ
暑き日を海にいれたり最上川
きれいな夕日を見たことがありますか。
子供の頃、西の空が赤く染まる頃、夕日を見るのが大好きでした。しかし、夕日が大きく見えることをずっと不思議に思っていました。
なぜ、夕日は大きく見えるのか?
地上の風景の影響による錯覚であるとか、単なる気のせいであるとか、いろんな 説明を聞いたことがありますが、どれも気持ち的にも論理的にも納得が出来ません。
確かに、望遠鏡でみると、いつも視直径は同じのようです。
ある人がこんな話をしてくれました。
地平線から45度の高さの ところを指で指してみて下さい。(青空でも夜空でもOk)
ちょうど45度のところを指したつもりでも、人は確か30度か35度の辺を指してしまうらしいの です。これは、人の錯覚によるもので、人は空を見上げたとき、
半球という認識ではなく、天頂が低いように勘違いしてしまうかららしいのです。
そう思って実際の空を見てみると、本当にそう見えます。 特に地平線方向のほうが、天頂方向より遠いように見えますから。
きっと、芭蕉も最上川の河口から望んだ夕日が、特に大きく煮え滾って沈んでいくように見えたのかもしれません。
でも、本当に不思議です。月が昇ってくるときなど、いかにも望遠鏡で 見ているようで、高いときより模様(海)がはっきり見えて来ますよね。
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