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現世のうまき品々あまたあれど味噌汁大根吾は忘れず
短歌拾遺(明治 三十九年)
ゆうされば大根の葉にふる時雨いたく寂しく降りにけるかも
歌集「あらたま」より
「齋藤茂吉」と言う歌人は、大根のような人ではなかったと思われます。地中に深く、真白く太い根をおろし、地上では青々と幾重にも葉を繁らすすがたが、ちょうど茂吉の生き方の深層に迫るように感じるのです。
地中深く根をおろしている茂吉は、常にふるさとと言う自分を育んだ滋味豊かな畑から、生きるための養分を与えられつづけていたことを心の奥でそれとは気づかずに、識っていたのではないでしょうか。
ふる里の味噌はよき味噌これの味噌で
ひでて煮ばこそ何もかもよし
ふる里の味噌くふ時はふる里の村の人々おもひつつくふ
短歌拾遺(明治 三十九年)二首
山形のあがたよりくる人のあり三年味噌を手にたずさえて
歌集「つきかげ」より
日本人の食生活とは切っても切り離せない「味噌」。その歴史は遠く飛鳥時代にまでさかのぼり、その起源は古代中国にあると言われています。
温かいごはんとみそ汁。最も身近な日本食の代名詞と言えるでしよう。 米食文化の日本において、この「ごはんとみそ汁」の組み台わせは、栄養のパランスからみても絶妙なものと言えます。
味噌汁は尊かりけりうつせみの
この世の限り飲まむとおもへば
蕗の薹味噌汁に入れて食わむとす
春のはじまりとわが言いながら
歌集「つきかげ」 二首
風引かば薬師が薬のまにょり味噌酒のむし勝るたるらし
短歌拾遺(明治 三十九年)一首
野菜、海藻、魚、貝、豆腐など様々な具を入れることによって、栄養価の高いおかずにもなったみそ汁は、以来、今日に至るまで、日本人の食卓と栄養を支える代表的な料理として長く受け継がれてきました。
医師でもあった茂吉が、その「味噌汁」に、ある種の思い入れを持って歌に詠みこんでいることは、意外に語れることは少なかったように思います。
朝々に納豆を買いて食むこともようやくに世の回復のさま
秋田あがた山形あがたの納豆を
おくり来たりぬ時には汁にもせよと
わが生はかくのごとけむおのがため納豆買いて帰るゆうぐれ
われついに六十九歳の翁にて機嫌よき日は納豆を食ふ
歌集「つきかげ」 四首
生涯に18,000首の歌をつむいだ茂吉の精神は、あの「納豆」のねばりに由来したのではないかという妄想めいた思いにかられるのです。ふるさとを限りなく愛し、ふる里の人々に支え支えられ生きた茂吉の姿。
そこに、人間茂吉のささやかな幸せを感じます。
偉大な歌人が私たちに残してくれたもの、それは17冊の歌集だけではなかったようです。
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在りし日の齋藤茂吉翁
ふるさとということ
故郷をこよなく愛した歌人「齋藤茂吉」
ある作家が、芸術の一つのあり方として「帰巣する」ことにあると述べていました。
我が郷土出身の誇り 近代短歌史に大きな足跡を残した斎藤茂吉も、「帰巣する芸術家」の一人と言えるでのではないでしょうか。
茂吉は生涯、繰り返し故郷の山河や人を歌い続けました。故郷は茂吉にとって「生涯を貫く文学思想の骨格」(真壁仁)とも言えるものですが、その根底には故郷に対する、変わることのない思慕の念がありました。
たましひを育みますと讐えたつ
蔵王のやまの朝雪げむり
『小園』 より
万国の人来り見よ雲はるる
蔵王の山のその生けきを
『つきかげ』 より

ふるさとの味、お袋の味、大根汁
山岸の畑より大根を背負ひくる
女の童らは笑みかたまけて
歌集「白き山」より
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